忍者ブログ
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

長々と音信不通で失礼しておりました。ようやく復活のきざしです。
皆様、心温まるコメントをありがとうございました。

1日に66歳で逝った叔父は、私の母親(4人兄弟)の弟。母は長女で、数年前すぐ下の妹が今話題の薬害C型肝炎で苦しんだ揚げ句、肝硬変で亡くなったのもあってショック大きかったんです。

叔父は1日の朝起きてこなくて、帰省していた長男が遺体を発見。検死が入ったとのこと。更に火葬場が年末からお休みで、4日まで葬儀場に運べず、6日のお通夜は21時半まで、7日告別式、朝8時15分集合デシタ・・・。

私は3日まで延々泣き暮らしてました。3日に対面しました。
とは言いつつ、箱根駅伝は母校が1位を取り戻して満足。しかし完全優勝じゃないから来年は完全優勝で連覇するのだぞ、とドラゴンズと同じ感想。普通だったら2位から1位なので大喜びしていたと思いますが、どうも笑ったり喜んだりができなくて。

しかし完全優勝で連覇というのは大変ですよね(何の話なんだか、わからなくなってきますが)

しかし現実は泣いてばかりいられなくて自治会の新年会も仕切って(うちの事情は話さなかった)、お腹も空くし、掃除もしなきゃいけないし、都内通ったり、何よりお通夜と告別式がハードスケジュール。

叔父はケンシン、ガサーラと同じ大学出身でサークルとかやって、就職後独立して神田で出版社をやっていたんですが(おかげで大作家先生とお会いできました)、そこをたたんだ後、某学校で講師をしていたので、お通夜は予想外の人数の生徒さんが来て下さって・・・100人以上かな?従姉妹が慌てたのなんのって。ミニスカにブーツの女の子やカーゴパンツの青年が泣いてくれるって、幸せだねえとまた涙が。

翌日の火葬場が激混み。も、フル回転・・・。不謹慎ながら「朝から晩まで焼いていた」感じ?控室を間違えないようにと葬儀社の方が目を光らせて誘導。そして、こちらに戻っても、そのまま両親は近所のお通夜の手伝いに、うちの自治会でもお葬式2軒。本当に疲れました。

それにしても、叔父の娘と私と私の母が、一番泣いていた(苦笑)。
新年早々、朝から泣いてる私といたドラ夫も気の毒でした。泣きながらお雑煮食べておせち食べて(←どのうちでも用意してしまっていたので)。

ここ2日は疲れで家事もやっとでした。明日は元に戻れそうです。
つくづく思ったのは、お葬式って、生前の人徳が出るな〜ということ。私んときは誰も来ないんじゃないかとか(苦笑)。不謹慎だけど両親に「どんな葬式がいいか、あと誰を呼ぶか書いといて」と念押ししましたよ。もち、自分たちも書いとこうと言い合いました。
だって母が「墓石は天然石じゃないとイヤ」とか言うんだもん(←分家なので建てないといけない。建てといて。ホントに高いから)

叔父の人生は充実していました。それがわかって、安心しました。
私は頑張って生きていかねば。
・・・復活〜!
PR
この記事にコメントする
Name:
Title:
Mail:
URL:
Color:
Comment:
pass: emoji:Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
お疲れさまです。
オレの親父は3年前のクリスマスイブでした。
今ではそんな日にドアライベント行ってます(苦笑)。
忘れてるわけじゃないですから、念のため。
突然、思い立って墓参りに行ったりもしてますから。
こういうのは時間が解決してくれるもんでね。
ボチボチいきましょう。
 
オレのドアラ URL 2008/01/09(Wed)23:23:08 編集
>オレのドアラさま
そうだったんですか・・・。クリスマスのたびにちゃんと思い出してもらえて、あ、でも悲しくなっちゃうかな。そんな時はドアラで癒して下さいね。
父方の祖母は12月25日だったので、やっぱりクリスマスのたびにくっきり思い出します。
第九を聴きにいった上野のホール前で知らせを聞いて。
お墓参りでも泣かなくなるのに時間かかりそうですけど、涙は人を回復させると申しますから。
ぼちぼちです。はい。
2008/01/10 21:18
お疲れさまでした
そういえば、母方の祖父も私が中学の時の元旦に亡くなって、やっぱり火葬場が4日からだったのを思い出した。

一昨年父が亡くなったとき、自治会の役員をやってた関係で大勢のかたに見送ってもらってたけど、なかに消防団の若い人もたくさんいたな~。あの人たちは何かの間違いで来たのかと思ってた私は父のことをあんまりわかってはいなかったんだけど、実の娘よりも近所の幼馴染が号泣してくれてるのを見てちょっとうれしかった。
今月の月命日はお休みだから、お墓参りに行ってこようかな。
はなママ 2008/01/10(Thu)00:44:15 編集
>はなママさま
火葬場の方には申し訳ないんですが、年末年始の休みを減らして頂けないものかと(ひどいかしら・・・)。
お父様のお見送りがたくさんいらして、幼馴染みの方が悲しんで下さったなんて、それはすごいことですよね。
今回も従姉妹が「お父さんが何やってたか知らなかった」とつぶやいてました(そして会葬御礼の品物が足りなくなって焦っていた)。
なんだか、うらやましかったですよ。はなママさんもそんな感じでしたか?
月命日でも何でもない日でも、思い立った時にお参りすると、お喜びになるでしょうね。私もそうしよう。
2008/01/10 21:25
送る言葉
>叔父の人生は充実していました。それがわかって、安心しました。
>私は頑張って生きていかねば。

無念には違いないものの、反面羨ましくもあります。
弟は享年52歳の若さでしたが、仕事に、趣味に、家庭に、中身の濃い人生でした。そのような父親を誇りに思ってくれと、あいつの子供たちに言っています。

ともかく、お疲れ様でした。
広小路栄 2008/01/10(Thu)00:51:47 編集
>広小路栄師匠
若い死は無念です。本当に無念です。亡くなって初めてわかる人生の中身もあるので、悔しいような羨ましい気持ちになる。そして自分も精一杯頑張らないといけないなと身がひきしまります。
師匠の弟さんも52歳とは・・・。
本当に心中お察し致します。残された者がしみじみわかる、故人の人生を伝えるのも残ったものの役目ですよね。
しかし52歳とは・・・。聞くだけで泣けてきます。
残ったものは、しかと生きてゆかねば。
2008/01/10 21:32
ここにも
お悔やみや励ましの言葉など、うまく言えませんが(キャラ的に)、気に掛けている奴が、ここにもいますよ~。
現グラ 2008/01/10(Thu)09:06:57 編集
>現グラさま
ありがとうございます〜!
わかってますから〜。うん。ありがとう(涙)
2008/01/10 21:33
そういえば
祖父母が亡くなった時も多くの人が会葬に来てくれて、
親は後で喜んでいたのを思い出しました。
素敵な叔父さんだった事がよく分かります。
改めてご冥福をお祈りいたします。
 
だやん URL 2008/01/10(Thu)12:32:00 編集
>だやんさま
ずっとお気にかけて下さってありがとうございます。
身内だけで悲しんでいた時と公になった時、また違うもので、会葬して下さった方にありがとうという気持ちが湧き出てくるのが嬉しかったです(それでまた泣いたんですが・・・ああ、しょうもない。叔父がもう泣くな〜!と言ってたと思います)
だやんさま御一家も御先祖様が守って下さっていますよ。その時来て下さった方とも御縁ができたと思います。ありがとうございました。
2008/01/10 21:39
ご苦労様でした
日程の都合とはいえ、つらい日々が長引いてしまいましたね。
ご苦労様でした。
しかし早過ぎます。(若すぎます)
何故か、いい人ほど早いです!
世の中、不公平すぎますよ。
私の父も、享年62と早い旅立ちでしたが、(7年前)
私に似て腹黒かったので、これは例外です!アッハッハ
たくさん悲しんだ後は、その分楽しんで下さい。
はくば参 2008/01/10(Thu)13:16:33 編集
>はくば参さま
こんなにあいだがあくとは思わなかったので、感情のコントロールがきかなくて変なお正月でした。てきぱきできるはずの事がゆっくりしかできなくなったり、何もする気がなくなったり。
御旅行から帰ってこんなお話ですみません。
本当にいい人ほど早いんですよね。。。はくば様のお父様も62歳とは!!!早過ぎますよ(涙)善い方だったのでしょうね。はくばさんを見ていればわかりますよ。
辛いことを思い出させてしまってすみません。
私は腹黒いから具合悪い悪いと言いながら迷惑かけて長生きしそうだ〜。迷惑だなあ。
今月のプロジェクトは「気分転換に行ってきな」と暖かく見守られてますので(すっかり忘れてた)楽しみたいです。
「セントメリー空港に行ってみたい」という母よ、「セントレア」だってば・・・。
2008/01/10 21:48
復活されて何より
悲しい時は泣き、楽しい時は笑う。
人間として一番素直な表現だと思います。

私も15年前に母を亡くし、気持ちは痛い程よーく分かります。
人との別れが、自分の生活や人生を見直させてくれた機会だと思って、
これからの人生、大切にしていきましょう!
りーにん 2008/01/10(Thu)20:50:33 編集
>りーにんさま
ご心配おかけしております。
やはり行事として終わらないと気持ちがしっかりしないですが、私はバカみたいに泣いたり笑ったり怒ったりしてしまうタイプなので逆に楽なのかもしれません。しまいこむ方が体に悪いですよね。
お母様、お亡くなりになっていたのですか。近親者でも両親というのは・・・。ああ、どうしよう。
でも人との別れは、生きている自分を本当に見直させてくれます。そのことが良くわかりました。
りーにんさまはじめ、皆さんとの出会いも大事、そして自分の生きて行く未来も大事に。
そのことに気付かせてもらえました。
2008/01/10 21:54
もう大丈夫。
チア吉さん…寂しくなりましたね。

でも 生命ある限り 亡くなった叔父様の分も明るく 楽しく 自分を大切に生きて下さいね(^^)
(いつまでも悲しんでると叔父様もきっと悲しみます)

食欲が少しでもあれば人間は元気に生きていけます!!
少し安心しました…。

辛い事 悲しい事は時が解決してくれます。
(あれ?誰かも言ってたな(苦笑))

私は一年前…精神的ショックを受けて食欲が全く無くなった時が数日間ありましたから(笑)

でも 今ではこうして コメントしてますしね(笑)
何とか生きてます(爆)
さくら 2008/01/11(Fri)05:23:17 編集
>さくらさま
ご心配おかけいたしました。
泣くのって体力いるんで、けっこうちゃんと食べてましたよ。いや、悲しくてもお腹はすくんだと実感しました。悲しくても洗濯物は出るし、掃除もしなきゃいけないし・・・。こうしているうちに立ち直ってゆくのですね。
うーん、精神的ショックで食べられない方が心配ですよ。
悩みすぎてとか凹みすぎて食べられないってやつ。
昔、それで10キロくらい痩せた事ありますが、治ったらキャピトンが(涙)
人間いろいろあるけど、乗り越えるたびに強くなれているはず。死ぬほど辛くても、頑張っていきましょう。
それで成長していけますからね。って偉そうに(笑)
さくらさんも、大丈夫ですね。頑張りましょう。
2008/01/11 21:00
この記事へのトラックバック
TrackBackURL:
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
最新コメント
[04/21 だやん]
[04/17 からから]
[04/14 オレのドアラ]
[04/13 広小路栄]
[04/13 現グラ]
最新トラックバック
プロフィール
HN:
関東チアドラ吉(通称チア吉)
性別:
女性
自己紹介:
生粋のドラファン「ドラ夫」と交際・結婚したのがきっかけで「落合ドラゴンズ」から中日ドラゴンズを応援するようになる。当時のHNは「関東ドラ吉」でオッサンかと思われていた。つくば市在住。都内へはスピーフィでw
水瓶座O型。体弱し。暑さにも超弱い。夜の満員電車が苦手。よって観戦率は低いです。けど名古屋遠征も年に何度かします。
何といっても落合監督が大好き!
大・大・大尊敬しております。
川相コーチ、宇野コーチが好き。
野球解説は今中さんが大好きです。
バーコード
ブログ内検索
カウンター
アクセス解析
お天気情報
忍者ブログ [PR]
Copyright(C) 落合・ドラ・マスコット All Rights Reserved